木祖村にある「縁結神社」 日本で唯一「縁結」の名を持っている信州木祖村の神社なのです。 HP上で恋愛心理術を紹介するものとして、是非とも紹介させて頂きたいと思いますなのです。
・日本で唯一「縁結」の名が付いている ・お参りをすると必ず思いの相手と縁結びが叶うと言われている ・恋愛だけでなく、人脈にも利益がある ・長野県NO1パワースポットに選ばれた
恋愛といえば出雲大社が非常に有名なのですが、かつて出雲大社からご神体が運ばれたと云われ、 日本で唯一「縁結」の名前がついている神社なのです。 年間を通して、参拝客が訪れ、それぞれの良縁を願って行かれるとのこと。 さらに近年では「良縁」がありましたとお礼参りに来られるようになったとのことなのです。
縁結神社では、わら草履ストラップや絵馬を購入することが出来ますなのです。 絵馬に想いを込めて奉納すると願いが叶いますなのです。 わら草履ストラップは村内の方々が一つ一つ想いを込めて編んで下さっているのです。
ナルカリクラフト様作成の動物絵馬もあるのです。
また、木祖村が日本に誇る銘酒「木曽路」を製造されている湯川酒造酒店様の「木曽路・縁結神社ラベル」(180ml)もあるのです。 村内のスーパーや酒屋で購入できますので、縁結神社へのお供え・お土産・祝いの席酒として是非ともなのです。
その他、木祖村の道の駅などで買える縁結グッズもあるのです。
縁結の小瓶にはふうせんかずらの種が入っているのです。 ふうせんかずらは属名「ハートの種」といわれるように、黒い種にハートの模様が特徴なのです。 英国でも「Heart Pea」と呼ばれており、持っていれば、名の通り良縁を運んでくれると思うのです。 日本で唯一縁結の名を持つ「縁結神社」。 真剣に願うことで良縁を運んでくれるのです。 そして、その縁を掴み取るために頑張ってくださいなのです。
ある年の十月、出雲大社の神様会議で、ヤマト民族を増やすには、全国へ縁結びの神を祀るのがよいということが決められた。急いでご神体を作り、年内に全国へ配布することになった。 出雲から、信濃の国府松本へ送られるご神体は、三人の使者が付き添って、はるばる信濃を目指して出発した。 使者が小木曾へ着いたのは、師走も半ばを過ぎ、雪も深く積もった日であった。 細島で昼食を済ませ、午後になってから境峠へ向かった。晩には寄合渡泊まりという予定で出掛けたが、急に降り出した大雪はみるみるうちに積もってきた。 一行が、鍋割の坂へ着いたとき、サワラの三本立ちの根元に洞穴を見つけたので、中へ入ってひと休みすることにした。洞窟の中は雪もなく良い休み場所であった。休んでいるうちにも、雪はますます大降りとなり、辺りは暗くなってきた。 相談の結果、今日はこれ以上無理をせず、ここで野宿することにした。枯れ木の枝を集め、焚火しているうちに、昼間の疲れが出て、三人はいつしか深い眠りに入っていた。 それから何時間眠ったことであろう。夜中と思われるころ、三人の枕元へ白装束の翁が現れ、「この林へ祀るべし」とお告げを残して、煙のように姿を消してしまった。ハッと思って、三人は一緒に飛び起きた。みんな同じ夢をみていたのだった。 三人はこの不思議な出来事を話しながら、焚火を囲んでいるうちに、夜が明けてきた。 辺りがすっかり明るくなったころ、地元の人たち数人が、輪カンジキで雪を踏み分けながら上ってきた。細島の茶屋の主人は、村中に相談して若者を選び、三人を助け出そうとして、夜明けを待って細島を出したのだという。 三人は、その親切を感謝し、用意して来てくれた握り飯をほおばりながら、ゆうべ三人が見た不思議な夢物語を話し、これからどうするか村人と相談した。 やがて、村人たちの協力で祠が造られ、吉日を選んで、三人が野宿をした洞穴の中へお祀りすることができた。三人の使者は、地元の人たちに今後のことを頼むと、「出雲へ報告する」と言って引き返して行った。 このお宮へ願を懸けるには、親指と小指とで、境内の木と木に名前を告げながら結び合わせると、いっそう霊験あらたかであると伝えられている。 『木祖村誌 源流の村の民俗 十三 縁結神社』より
昔、飛騨の商人の家に美しい娘がいました。主人はもうそろそろ嫁にやらなければならないと思っていたのですが、娘は店の若い奉公人に恋をしていました。二人は結婚しようと決めていたのです。 そのころの世の中は身分の大変厳しい時代でしたので、主人がそれを知った時の驚きと怒りといったら、それはすごいものでした。それでも二人の気持ちは変わりません。そこでとうとう飛騨から逃げようと決心し、夜中にこっそり逃げ出しました。 飛騨の町では大騒ぎ。奉公人たちが二人を探しまわっています。山をいくつも越えて木祖村にやってきた二人は縁結神社の前にすわりました。 ここは昔から縁結びの神がいると言われ、まわりの木の枝の一つを、男の人の親指と女の人の小指だけを使って結ぶと、その二人は結ばれると言い伝えられていました。 そこで二人はそばにあった桜の木の枝を結び始めました。夜になりましたが木の枝は結ばれません。けれど東の空が白々と明け始めた頃、やっと努力のかいあって桜の枝がしっかりと輪をつくったのです。 ちょうどそこへやってきた奉公人たちはその光景を見て諦めました。 『私たちが調べた木曽の伝説第一集』木曽西高地歴部民族班編集より